新・テレビの中からこんにちは。Ⅱ

カメラや街歩き、保存車を中心に色々と展開している、同人サークル『ジャンク難あり500円の会』主筆のブログです。

【保存車めぐり】京都鉄道博物館の保存車両 Part2【特別編】

前回に引き続き、今回も京都鉄道博物館の保存車両を機関車中心に取り上げる。

 

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(Camera:SONY RX100)
戦後に余剰となったD52のボイラーを『改造』名義で転用した大型旅客機、C62 26号機。
元々、交通科学博物館で保存されていた同機が京都鉄道博物館に引き継がれたという事で、C62の保存機の5機存在する内の3機がこの京都鉄道博物館に保存(内、1機は動態保存)されているという状態である。

 

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(Camera:SONY RX100)
20系客車の食堂車で唯一現存するナシ20 24と連結されて展示されているDD54 33号機。
沖田祐作著『機関車表(RM301号版)』によれば、同機は1971年に三菱重工業三原工場で製造されると同時に米子機関区に新製配置され、1974年に福知山機関区に転属し、1978年12月に廃車となるまで活躍した後に、京都鉄道博物館の前身である交通科学博物館で保存され、そのまま京都鉄道博物館でも展示されることに。
 

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(Camera:DMC-G7 Lens:Lumix G X VARIO 14-42mm F3.5-5.6)
トワイライトプラザに展示されているEF58 150とEF81 103の並び。
このトワイライトプラザは交通科学博物館時代に使われていた京都駅のホーム上屋を活用したもの。
 
 

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(Camera:DMC-G7 Lens:Lumix G X VARIO 14-42mm F3.5-5.6)
京都鉄道博物館保存にあたって、青15号塗装に戻されたEF58 150。
沖田祐作著『機関車表(RM301号版)』によれば、1958年3月に東芝府中工場で製造されると同時に宮原機関区に配置され、1985年3月まで所属した後に、1986年3月に吹田機関区で廃車となるも、1987年に吹田機関区で復籍し梅小路運輸区を経て1990年から廃車まで宮原総合運転所に配属された機体。

同機は80年代に突入しても前面窓がHゴム化されることなく原形の小窓を保っていた機体、という事で、分割民営化直前に列車無線アンテナの設置と共に登場時のぶどう色2号に塗り替えられてイベント用として運用されていたが、京都鉄道博物館保存の際に60年代以降の塗装である青15号塗装に戻されたのであるが、何故か2エンド側を正面にして保存されている。
 

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(Camera:DMC-G7 Lens:Lumix G X VARIO 14-42mm F3.5-5.6)
トワイライトプラザに保存されている、EF81 103。
沖田祐作著『機関車表(RM301号版)』によれば、同機は1974年5月に日立製作所水戸工場で製造されると同時に敦賀第二機関区に新製配置され、富山第二機関区を経て、廃車となるまで敦賀運転所から福井地域鉄道部敦賀運転派出に所属していたトワイライトエクスプレス塗装の機体で、『トワイライトエクスプレス』に使われていたスシ24 1とスロネフ25 501と連結の上で展示されている。

EF81の完全な形で残る保存機は茨城県筑西市にあるザ・ヒロサワシティにEF81 138が『北斗星』用の24系客車や関鉄キハ100形などと共に残っているが、そちらのほうは車がない限りは行く事が困難な場所にあるので、行けるのはしばらく先になりそうである。
 

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(Camera:DMC-G7 Lens:Lumix G X VARIO 14-42mm F3.5-5.6)
EF81 103の連結器部分を見る。
トワイライトエクスプレス』の牽引にあたって、乗り心地向上の為に自動連結器から、衝撃の少ない密着自動連結器に換装されているのが特徴的であるが、果たして乗り心地に差はあったのだろうか。
 

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(Camera:DMC-G7 Lens:Lumix G X VARIO 14-42mm F3.5-5.6)
トワイライトエクスプレス』の最後尾車両だったA寝台車、スロネフ25 501。
現役当時にはスイートルームからは北海道の車窓が一望できたそうだが、少なくとも『トワイライトエクスプレス』が走っていた当時は旅行代理店を通しても滅多に予約できなかったんだろうな、という事が想像できる。
 

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(Camera:DMC-G7 Lens:Lumix G X VARIO 14-42mm F3.5-5.6)
トワイライトプラザに展示されているEF65 1。
沖田祐作著『機関車表(RM301号版)』によれば、1965年1月に川重兵庫工場にて製造されると同時に吹田第二機関区に配属され、1987年2月に吹田機関区で廃車となるまで長らく運用されていた後、民営化当時から網干総合車両所宮原区に長年保管されていたものが製造時の姿に復元の上で京都鉄道博物館に展示されている。

同機と同じくJR各社に継承されずに廃車となったグループは、民営化直後にJR貨物が輸送力増強の為に国鉄清算事業団から購入して車籍復活の上で00年代初頭まで活躍していたものも存在するが、今となってはJRに継承されずに廃車となった同機がEF65 0番台唯一の現存車(500番台改造車除く)となってしまった。
 

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(Camera:DMC-G7 Lens:Lumix G X VARIO 14-42mm F3.5-5.6)
京都鉄道博物館の本館にて嵩上げされて展示されているEF66 35号機。
沖田祐作著『機関車表(RM301号版)』によれば、同機は1974年9月に川重重工業兵庫工場で製造されると同時に下関運転所に配属された後に、分割民営化直前の1986年11月に吹田機関区に転属し、廃車となるまで運用されていたが、保存にあたって製造時の姿に復元されている。

今回の訪問時には『富士』のヘッドマークを掲示していたが、床下機器が灰色に塗装されているという事で、九州ブルートレインの末期に『富士・はやぶさ』を牽引していたEF66 53(関)を思い出すのは何故だろうか。
 

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(Camera:SONY RX100)
京都鉄道博物館の本館にて嵩上げされて展示されているDD51 756号機。
沖田祐作著『機関車表(RM301号版)』によれば、同機は1972年2月に日立製作所水戸工場で製造され、熊本機関区に新製配備された後に、1980年に東新潟機関区に転属して長らく運用されていたが、末期には門司機関区に転属して山口線などで貨物を牽引した、という経緯もあり、寒冷地仕様に設置された運転台部分の旋回窓を『一部に』残しているアンバランスな機体。
 

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(Camera:DMC-G7 Lens:Lumix G X VARIO 14-42mm F3.5-5.6)
梅小路蒸気機関車庫エリアの第二研修庫の前に留置していたDE10 1118(梅)。
普段は京都鉄道博物館の保存車両を入換する機関車として活躍しているようだが、訪問時には動いていなかった。
 

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(Camera:DMC-G7 Lens:Lumix G VARIO 45-150mm F4.0-5.6)
梅小路蒸気機関車庫エリアで『SLスチーム号』を牽引する、大正初期に製造された8630号機。
 

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(Camera:DMC-G7 Lens:Lumix G VARIO 45-150mm F4.0-5.6)
展示車両ではないが、EF65 1128(関)が京都鉄道博物館の側線に入線した。
運転台部分にカメラが設置されていたり、テールライトのクリアテール化が行われている他、JR東日本と一部のJR貨物(2000番台)のPF型とは異なり、クーラーが搭載されていないのが形態としては興味深い。
FC2ブログより転載)